2016-08-15

歪んだ器の面白さ

キム ホノ:ジャズな大鉢



















歪んだ器の面白さを感じたのはいつからだろうか?

  最初のうちは、「見慣れないモノ」や「意外性の強いモノ」を受け入れる事が出来ず、「こんなの一体誰が使うんだ。」と馬鹿にしてみたり、遠ざけたり、見ないようにしたりしていたと思います。

 ただ当時は、「歪みの何が面白いのか理解はしてみたい」とは思っていました。

 あれこれ考えて、とにかく一生懸命理解しようと努力したのですが、なかなか理解出来なかったです。

 機会があるごとに、なんとなく眺めて、繰り返し接触し続けた結果、次第に平気になり、親しみが湧き、ある日突然、感覚的に受け入れる事が出来るようになったと思います。

 作者の意図が手に取るように分かり、それがとても価値のあるものになっていきました。もちろんそこには有識者の意見や説明もありました。

 今思うと、無理に急いで理解出来るものではなく、本当に少しづつ少しづつの理解だったと思います。

 「考え」による理解よりも、「感覚」による理解、「感じる」事の大切さ。

 そこに至るまでには、自分がしてきたようなアプローチが必要になってくるのですが、数日でそうなる人もいれば、何年もかかる人もいるかもしれません。

 自分の慣れ親しんだ「知の鋳型」を守ろうと誇示せずに、型を崩し、崩れたところから繰り返し接触し続けた結果、「新しい知の鋳型」が出来たように思えます。

  これらの「歪み」を理解するという事は、古い鋳型を一度壊される事であり、それがマゾヒスティックな快感・感動・恍惚な状態を生むのではないでしょうか?

 病みつきになる方と、ならない方の温度差があるのは、ここかもしれません。

 ちなみに、

歪んだ器が好きな方がマゾという訳ではありませんよ。悪しからず。