金 憲鎬:風の碗 |
蕎麦通の方には邪道と思われますが 器林は立スタイルのコロッケ蕎麦が大好きである
出てきた時の「私は蕎麦とは別だかんね」と蕎麦と馴染もうとしない意地を張ったビジュアルが面白い
「天ぷら」や「きつね」みたいに長年連れ添った感や「上手くやっていこうぜ」みたいな肩を組もうぜ感は一切ない 愛想や付き合いは悪いけど仕事はきっちりするタイプ
先ずは二口程蕎麦を啜ってからコロッケに眼をやるのだが「もう少し油を出すか」と軽く箸で蕎麦ツユに沈めてみる
油の染み出たツユは美味いのである
もう一口蕎麦を啜ってコロッケに箸を伸ばすのだが「もう少し待ってツユを吸わせるか」とまた箸でツユに沈めてみる
ツユの染みたコロッケはこれまた美味いのである
更に一口蕎麦を啜ってコロッケに箸を伸ばすとつかめない程ツユを吸って慌てふためきながらドロドロのコロッケをジルジル~と啜る事になるのであります
そうなんです
コロッケ蕎麦はコロッケを食べるタイミングとの闘いなのです
タイミングが早いとただのコロッケで ツユが染み染みのあの芳醇な味を楽しめないし遅いとドロドロに溶け出し蕎麦の味が濁ってしまう
「月見そばの玉子はいつ割るか?」でよく議論になりますが 白身というワンクッションがある玉子には先に白身だけを絡めて食べたり 暫く放置しておいて黄身を好みの加減に調節出来る時間のゆとりがあったり いざとなったら「エイやー」と呑み込んでしまえば一件落着なのだがコロッケ蕎麦はそうはいかない
形と味の崩壊が前触れもなく突然にやってくる 溶け出したコロッケは誰にも止められない 崩れ行き溶けたジャガイモに蕎麦が呑み込まれる姿を唖然としながら傍観する以外 手立ては無いのである そして己の未熟さと予測の甘さを痛感し後悔する事となるのです
丼ぶりの底に僅かに残ったジャガイモの溶けたツユと七味に「次回こそは必ずや」とリベンジを誓って暖簾を後にするのです
そう言えばコロッケ蕎麦を一度も満足に食べられた事がないな
この碗でリベンジしてみたいモノです(笑)